漂流民ではなく、自分の意思でハワイに渡った最初の日本人の一団は、後に「元年者」と呼ばれた明治元年(1868年)の渡航者でした。その後、明治政府は移民には消極的でしたが、1885年(明治18年)に「官約移民」と呼ばれる、明治政府が正式に認めた移民が開始されます。
官約移民制度以降、ハワイへ渡航した日本人一世の苦労や苦難、そしてアメリカ生まれの日系2世の活躍をご存知の方も多くいらっしゃるかもしれません。その中でも、「福岡県出身日系人の偉業を故郷の皆さんにも知って頂き、ぜひ後世に伝えて欲しい!」その熱い思いで始まったハワイ州GIAプロジェクトが完了しました。
福岡県はハワイ州にとって姉妹提携をした第1番目の県です。本年2021年は、提携40周年目にあたります。例年1月第3水曜日に開催されるハワイ州議会会期初日に合わせて、福岡県議会より議員訪問団がハワイへお越しになります。2017年に開催された35周年記念式典には、小川前福岡県知事にもご訪問頂きました。
ハワイ福岡県人会から要請を受け、ハワイ・グローバル教育財団(HGEF)は2019年ハワイ州議会へ助成金を申請。承認を得て、HGEFが日本とハワイを結び、プロジェクトを成功させるべく通訳・翻訳・コーディネーションおよびプロダクションのお手伝いさせて頂きました。
ハワイ州には、福岡県出身日系人でそれぞれの分野で活躍されアメリカ史に名前を残した方が3名いらっしゃいます。ご存知でしたか?3名とも、「日系人」として「初めて」を達成した方ばかりです。
1. ジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事(日系人として初めて州知事に)
2. ダニエル・イノウエ米国上院議員(日系人として初めて連邦政府議員に)
3. エリソン・オニヅカ宇宙飛行士(日系人として初めて宇宙飛行士に)
福岡県豊前市にルーツを持つアリヨシ知事は、ホノルル市生まれ。米陸軍情報部日本語学校に入学、終戦後の東京で進駐軍の通訳として勤務しました。
ハワイ州下院、上院にて州議員として活躍後、1970年に副知事に就任し、1974年には全米初の日系人として州知事に当選されました。当時は任期制限がなかっため、在任期間は最長の12年を数えました。
任期中の1981年、福岡県とハワイ州の姉妹州提携を締結し、2021年には姉妹州提携40周年を迎えます。2021年3月に95歳を迎えられた現在でも、ハワイのみならず、日米友好の架け橋として現役でご活躍中です。
豊前市には、アリヨシ知事の貢献をお伝えする銅板を寄贈させて頂きました。豊前市役所ロビーに、特別展示スペースが設けられています。
福岡県八女市にルーツを持つイノウエ議員は、ホノルル市生まれ。米国では日系人として初めて連邦政府上院議員に当選、9期連続当選して最古参の議員となり、大統領継承順位3位の上院仮議長にまでなられました。
ハワイ大学在学中、米陸軍日系人部隊第442連隊の一員としてヨーロッパ前線で戦い、敵の手榴弾を受け右腕を失くしました。議員当選後、選出されたハワイ州のみならず、日米友好にも多大な貢献をされています。
2012年に88歳で永眠されましたが、「ハワイと国家のために力の限り誠実に勤めた。まあまあ出来たと思う。」とおっしゃった後、最後に「アロハ」と言われて旅立たれました。2017年5月には、ホノルル国際空港がDaniel K. Inouye 国際空港と命名されています。
八女市は周辺の2町2村が合併してから、2020年で10周年の記念年であることから、ハワイ州および弊財団としては、寄付をさせて頂きました。コロナ禍で影響もありましたが、無事に2021年3月、イノウエ議員の胸像が建立され除幕式が執り行われました。
福岡県うきは市にルーツを持つオニヅカ宇宙飛行士は、ハワイ島コナ生まれ。コロラド大学で航空宇宙工学を学び、大学卒業後米空軍の少尉となりました。
1978年、スペースシャトル計画に応募し、翌年スペースシャトルの乗組員に指名されました。1983年、家族と供に先祖のお墓参りをした後、浮羽中学校で記念講演会が催されました。「夢に向かって努力しよう。きっと夢は叶えられる。」と語り、生徒たちに希望と勇気を与えました。
1985年、ディスカバリー号での初飛行では、宇宙で初めてお箸を使い、お寿司を食べ、ハワイ産コナコヒーを飲み、ハワイアン音楽を流したというエピソードも残っています。
1986年、チャレンジャー号が打ち上げ直後に空中爆発し、オニヅカ氏を含む7人の宇宙飛行士全員が青空に命を散らせた残念な結果となってしまいました。しかし、米国のパスポートには彼が残した言葉、「すべての人々は次世代のために、さらなる高みを目指して努力しなければならない」が引用されています。
うきは市には、オニヅカ宇宙飛行士の貢献をお伝えする銅板を寄贈させて頂きました。「道の駅 うきは」にてご覧いただけます。